2011年05月30日
[がんばる」は悪くない
2011/5/21sat
日経新聞 脚本家 内舘牧子
「がんばる」という言葉を使うなという風潮がある。
たとえば闘病中の方々に対して、
被災地の方々に対して、
苦境の中にある方々に対して、
「もう十分に頑張っているのだから、他人が使うべきではない」とされる。
私もそう思うし、病気によっては絶対にタブーの言葉だと言う事は、心しておく必要がある。
ただ、この言葉は励ます際に反射的に口をつく場合が多い。
そのため、つい「がんばって」と言う。
すると「無神経な人だ」という目を向けられたり、「上から目線だ」とたしなめられる事もある。
こうなると言葉狩りだなと思ったりもする。
すると、月刊「パンンプキン」5月号でソプラノ歌手の鈴木慶江さんが語っていた。
「 “がんばろう” は “顔晴ろう” 、
つまり “笑顔になること” 」これには目が覚めた。
「頑張る」という字をあてるから嫌われるが、「顔晴る」ならばまったく違う意味が出る。
「晴る」というのは「心の憂さがなくなること」であり、「晴れがましいこと」である。
日常という意味の「ケ」に対し、晴れの日を示す「ハレ」である。
私は鈴木さんの言葉を読んだ時、
武蔵野美術大学の向井周太郎名誉教授が「ふすま」
(住まいの図書館出版局)の中で展開されていた興味深い思考をを思い出した。
それは生命の再生を告げる「春」、
芽が出るという意味の「張る」、
田畑を新たに切り開く「墾る」は同根だが、
「晴る」もそれらと同源ではないかとするものである。
そうか、「がんばる」「顔晴る」とか考え、「芽が出る」のかと思い、
再生の「春」かと思い至ると、頭ごなしに唾棄するのは短絡的だと思えるのではないか。
私も「頑張れ」は言えなかった。
今日からは「顔晴れ」から「笑顔になること」でいきたい。
昨日のnewsで被災地で雨の中、運動会開催をしてました。
子供からパワーをもらって、がんばってほしいです。
日経新聞 脚本家 内舘牧子
「がんばる」という言葉を使うなという風潮がある。
たとえば闘病中の方々に対して、
被災地の方々に対して、
苦境の中にある方々に対して、
「もう十分に頑張っているのだから、他人が使うべきではない」とされる。
私もそう思うし、病気によっては絶対にタブーの言葉だと言う事は、心しておく必要がある。
ただ、この言葉は励ます際に反射的に口をつく場合が多い。
そのため、つい「がんばって」と言う。
すると「無神経な人だ」という目を向けられたり、「上から目線だ」とたしなめられる事もある。
こうなると言葉狩りだなと思ったりもする。
すると、月刊「パンンプキン」5月号でソプラノ歌手の鈴木慶江さんが語っていた。
「 “がんばろう” は “顔晴ろう” 、
つまり “笑顔になること” 」これには目が覚めた。
「頑張る」という字をあてるから嫌われるが、「顔晴る」ならばまったく違う意味が出る。
「晴る」というのは「心の憂さがなくなること」であり、「晴れがましいこと」である。
日常という意味の「ケ」に対し、晴れの日を示す「ハレ」である。
私は鈴木さんの言葉を読んだ時、
武蔵野美術大学の向井周太郎名誉教授が「ふすま」
(住まいの図書館出版局)の中で展開されていた興味深い思考をを思い出した。
それは生命の再生を告げる「春」、
芽が出るという意味の「張る」、
田畑を新たに切り開く「墾る」は同根だが、
「晴る」もそれらと同源ではないかとするものである。
そうか、「がんばる」「顔晴る」とか考え、「芽が出る」のかと思い、
再生の「春」かと思い至ると、頭ごなしに唾棄するのは短絡的だと思えるのではないか。
私も「頑張れ」は言えなかった。
今日からは「顔晴れ」から「笑顔になること」でいきたい。
昨日のnewsで被災地で雨の中、運動会開催をしてました。
子供からパワーをもらって、がんばってほしいです。
Posted by ジェームス・ボン(ド)ベ at 12:41│Comments(0)
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